レジリエンスを高めようと
コロナ下でまたよく耳にするようになりました。
4つの要素を・・・
と見ても聞いても
内側には入って来ないほど
落ち込んだ事もありました。
どうしようもない程
落ち込んだ時
どのように立ち上がって来たのかと振り返ると
どなたかから
欲している言葉をかけて頂いて
その言葉が心の栄養となって
回復していたのだと思います。
心の栄養を頂くと同時に
強く立ち上がるというよりは
「こんな自分にも
私を責めるどころか
逆の温かい言葉を
掛けてくださる方がいらっしゃる」
と、自分の小ささを知り
今の自分を認めると同時に
感謝の思いが力となり
立ち上がって来たのだと思います。
ふらふら進路も定まらず居る私に
「居てくれるだけでいい」と言葉をかけてくださり
居場所を作ってくださった事
失敗ばかりの私に
「いっぱい失敗してください」とおっしゃり
いえ、何をしたらよろしいのでしょうかと尋ねると
「いっぱい失敗してください
失敗も失恋も悔しい思いも悲しい思いも沢山して
そういう人の気持ちも分かるようになってください」
教師という職の方からこういう言葉が頂けるとは
思っていませんでした。
ASAMI先生も
レッスン中に取り乱した私を叱責されるのではなく
「謝らないでください」
「人間ですから状態が良くない時もあるのです」
「いつでも連絡してください」
何度も数々のお言葉で
私を丸っと包み込んでくださったのです。
いつもどなたかに助けて頂いたと同時に
どなたかが私を受け入れてくださったと同時に
自分自身が
弱い自分を受けいれる事が
できたのでした。
落ち込んでいる自分をそれで良いと
それでいいのだとまずは認める事が
すんなりとできる場合は
私の場合は
割とすぐに切り替えられるのですが
私としては
これが難しい場合があるのです。
落ち込むと
なぜこんな事で落ち込むのだろう
なぜこんなに気持ちの切り替えができないのだろう
こんな自分はこの前で最後と誓ったのになぜと
落ち込んでいる自分に
なぜ?
と責めるように自問自答を始めてしまうのです。
ひどい時には
あの時にあのように言われたなかったら
あの方があのような事をしなかったら
私はこんな思いを抱いていないと
責任転嫁を始めて
その自分にまた嫌気がさしてしまう事もあります。
そんな事を繰り返していると
さらに自己嫌悪に襲われて
恥ずかしくて
気の毒な人だとも思われたくないと
誰にも相談できないような状態になり
このまま望んでいない未来になってしまうのではと
口に出す事も怖くなり
一人で悶々としていたのだと
こうして書きながら気がついております。
ただ、落ち込んだ時は
まだチャンスの場合もあり
未来が変えられる事の方が多いのではと
書きながら思い出しました。
今後は
落ち込んだ時こそチャンスと
落ち込み
自分の小ささを知り認める事で
周りの方々への感謝の思いがさらに深まり
謙虚さを取り戻せる出来事が来たと
正面から向き合いたいと思います。
そして、落ち込める内はまだ未来が変えられると
望む未来は何か
どうしたら望みを叶えられるかと
物事の捉え方を
変えたいと
書きながら思いました。
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