美しさとは思いやりの現れであり
私にとっては重要なものであると
昨日はブログに綴りました。
恥ずかしながら
このような感覚は
この数ヶ月前まで
なかったのです。
ASAMI先生に出逢っていなければ
抱く事はなかったのではないかと
思います。
レッスン時
そしてレッスン時でなくても
自分の姿を客観視する事は
なかったと思います。
美しさという思いやりを
私は意識せずに
生き続けていたのだと思います。
自分の姿は
周りの方々の方が見ているという事
よく見えるという事を
気がつかずに生きて来ました。
歩き方も
話し方も
頭の位置も
物の置き方も
瞬きも
全て無意識に行っておりましたので
無意識に
周りの方々へ不快な思いを与えていた事があったとしても
気がつく事はなかったのでした。
今までも
自分で自分にゾッとする事はありましたが
直そうと思うのは一瞬で
意識をし続ける事をやっと決意し
しかしながら
美しさ
を意識をし続けるという事の
難しさにも今やっと直面し
学び、修行をしている最中なのです。
美しさをどうしたら手に入れる事ができるのか
自分自身でどのように表現する事ができるのか
私は考えた事がありませんでしたが
ASAMI先生と出逢い
美しさを学ばせて頂ける機会を
今こうして頂いております。
ASAMI先生にご教授頂いたことだけではなく
日常でも
これは美しさとかけ離れていると
気がついた事が多々あります。
電話を受ける時も
かける時も
置き型電話の受話器を
一瞬で耳元まであげようとしている
謎の自分を発見しました。
なぜこんなに急いでいるのか
クレイジーな人に見えていると
自省しました。
美しさという思いやりも
私はまだまだ
伸び代がありそうです。
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